みんとんの日記帳

何の取り柄もない人の何の取り柄もないブログ

名探偵ピカチュウを観て感じた"圧倒的感謝"

 

名探偵ピカチュウを観てきました。

 

公開初日に行き損ねたので子どもは子どもらしく5月5日の子どもの日に行ってきました。

記念にポケモンセンターポケカを5パック買ったらヨシダ警部補が当たりました。ピカチュウのノーマルも2枚当たったんですが一緒に観に行った母と妹にぶんどられました。ブルーかわいい。

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今日書くのは映画の感想になります。ネタバレされても面白い映画だと思ったので大丈夫かなあとは思いますが、若干ネタバレを含むのでまだ観てない方は映画館から帰ってから読んだ方がいいかもしれないです。

 

まず結論から言うと、最高でした。

トレーラーを初めて見た時は「挑戦的なことするな〜」という期待と、「これ大丈夫なのか…?」という不安を胸に抱きつつ公開を待ちわびてました。が、不安の方は杞憂に終わりました。

 

この映画、ひとことで表すなら「感謝」という感じです。1人のポケモンファンとして、ここまで原作をリスペクトした作品を生み出してくれたハリウッドに感謝しすぎて、映画館でリアルに涙が出ました。

 

僕はいわゆるポケモンオタクで、小学生の頃からポケモンに触れてきました。特に重度にオタク化したのは2014年発売の「オメガルビー/アルファサファイア」からで、それ以降発売したソフトに関しては全世代999時間のプレイ時間をカンストしてしまう様になってしまいました。いわゆる"厳選"にも手を出してしまっているレベルです。

ここまでのオタクになって来ると自分の「ポケモンとはこうあるべきだ論」やらを持ち合わせるようになってしまいます。人に押し付けない様に心がけているつもりではありますが…

 

この映画の元ネタのゲーム「名探偵ピカチュウ」も勿論プレイしていて、それ故に僕はこの映画に若干の不安を覚えていました。

ゲームに登場する名探偵ピカチュウは、「ポケモンの技」を使えません。事故で記憶を失ってしまったピカチュウは、電気を放出する術を忘れてしまっているので、ヨタヨタと歩いて喋るだけの黄色ネズミとして登場します。

これはハリウッド映画にとって致命的な設定なのでは…?と僕は思っていて、派手なアクションによる見せ場を作れないのではなかろうか、という懸念を感じてしました。

実際僕はこのゲームをプレイしていて若干物足りないな…と感じることもありました。謎解き要素が豊富だったり、登場するポケモンたちの仕草が可愛かったのでプレイする価値はあると思いますが。

他にも色々な心配は抱えていましたが、「アクションの少ないポケモンは物足りなくなるのでは?」というのが僕の感じる最大の不安要素でした。

 

ですが、映画を見て僕のこの妄想は非常に愚かなものであったと思い知らされます。

まずアクションシーンに関してですが、ピカチュウ自身は技を使うことは出来ないものの、非常に多くのポケモンたちが登場して、ピカチュウたちに技を繰り出してくるので、道中それを躱しながら進んで行く姿を見てそれだけでも十分ハラハラさせられました。ピカチュウ自身が技を使えなくても、ハリウッドの技術と演出力でテンポの良さは余裕でカバーできている、という感じでした。むしろピカチュウが序盤は技を使えない、というのは後半のクライマックスの見せ場を引き立てる要素として絶妙に成り立っているとさえ感じました。技の使い方を思い出したピカチュウピジョットに乗ってミュウツーと決戦するシーンはめちゃくちゃ熱かったです。鳥ポケモンの背中に乗って空中戦を繰り広げる様子はルギア爆誕からボルケニオンまでの映画で何度も登場した白熱のシーンを思い出させました。

 

が、そこで満足せず、レジェンダリー・ピクチャーズは「何がポケモンポケモンたらしめているのか」を忠実に理解して、実行していました。僕が一番衝撃を受けて感動したのはこの部分です。

 

この話をするにはまず予告トレーラーの話をしないといけないと思います。

初めて"Detective Pikachu"のビジュアルが公開された時の世間の感想を見る限りでは、

「リアルにしすぎだろ笑」

ポケモンでやる意味ある?」

「なんでも現実に近づければいいってもんじゃ無いと思う」

という様な意見が散見されていた様に感じます。もちろん、「もふもふなピカチュウかわいいw」「このくらい挑戦的じゃなきゃハリウッドでやる意味ない」という様な肯定的な意見もたくさんありましたが。

より肯定的な意見が増え出したのは、予告トレーラーの第2弾が発表されてからだったと記憶してます。皆さんもご存知、冒頭でしわしわな顔のピカチュウがトボトボと歩くシーンから始まる映像です。

これですね。

 

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この映像の公開後、かなり話題を呼びました。主演のライアン・レイノルズが演じるピカチュウが非常に豊かで新鮮な表情を見せることが伝わってから、世間の期待値が大きく上がったことを覚えています。

実際、映画本編でもこのおっさんくさいピカチュウは終始観客を飽きさせない感情豊かな仕草を見せてくれます。映画末尾にレイノルズ本人がちょっとだけ登場しますが、劇中のピカチュウと全く同じような表情筋の動きをしていたのでびっくりしました。

ポケモンは表情の豊かな生き物です。原作のゲームでは、ただのモンスターではなく、ポケモンという人間とコミュニケーションを図れる生き物であるということが強く意識されていて、ポケモンと触れ合えたり、一緒に写真を撮ったりする機能を加えたりしてその特徴を伝える工夫がゲーム内の細部に施されています。

その結果、ゲームのプレイヤー達の少なからぬ数がこう思うことは多いかと思います。

「もし現実の世界にポケモンがいたらなぁ…!」

ポケモンが大きく特徴的なのは、キャラクターごとに異なる個性やかっこよさ、そして何処と無く漂う可愛らしさを兼ね備えている点だと思います。それ故にリアルで出会えることを夢見てしまうわけですね。

劇中の、地下闘技場でリザードンが暴れ出すシーンを思い出して欲しいです。謎の気体"R"を吸わされたリザードンが、理性を失って凶暴化して、辺りがパニック状態になる場面があります。リアルな鱗に覆われた屈強なドラゴンが暴れ回るシーンは迫力があります。ここまでのシーンで終わるならただのモンスターです。

でもそうじゃないんです。薬の効果が切れて正気を取り戻したリザードンの目の前に、突然コイキングから進化したギャラドスが立ち塞がるんですが、その圧巻なサイズに萎縮して、思わず上目遣いで眺めるリザードン。その後ハイドロポンプで何処かに吹き飛ばされてしまいます。

たった数秒にも足らないくらいのシーンですが、この上目遣いには凄まじい効果があります。予告編の公開時から「ちょっと怖すぎない?」という意見もよく見たリザードンでしたが、これはただのリアルなドラゴンじゃない、リザードンというポケモンなんだという制作の強い意図を感じるシーンです。

劇中のキーキャラクターとなるミュウツーに関しても同様です。人間に作られたただ凶暴なバイオモンスターではなく、己を生み出した人間を信じるか、信じないかを葛藤する思慮深いポケモンであることがストーリー中の短い時間でもきちんと描かれています。そしてポケモン映画の原点でもある、「ミュウツーの逆襲」に対する強いリスペクトも伝わり感動したという方も多いでしょう。僕もです。

ポケモンにとってアクションシーンは大切です。本家がバトルしながらストーリーを進めて行く以上無くてはならない要素の1つでしょう。でもそれだけではポケモン映画は成り立たないんだということを僕はこの映画に思い知らされました。「表情」とは、ポケモンを構成する最も大切な要素の1つだったんだなと。

 

名探偵ピカチュウは、「なぜポケモンを実写化するのか」を明確に理解し、表現することに成功した映画だと思います。

スマホゲーム「ポケモンGO」が発表された時の初公開映像の出だしをご存知でしょうか?

https://youtu.be/lKUwVYUKii4

人々は「もしポケモンが現実にいたら」を強く望んでいます。本家の任天堂ゲームフリークはもちろん理解してますし、映画の製作陣もそれを理解していました。

そしてそれを映像で実現するのに必要なものは?ポケモンポケモンたらしめているものとは何なのか?ということを突き詰めてくれた、原作愛という生温い単語では言い表せないほどの作品への強いリスペクトを感じました。ハリウッド、製作のレジェンダリー・ピクチャーズには、1人のポケモンファンとして感謝を言い尽くしても言い尽くせないです。

 

余談ですが、最近話題になってるソニックの実写化について。あれは、トレーラーを見ただけでは「なぜソニックを実写化するのか」が伝わらなかったことで批判が殺到したのかなあと思います。もちろんキャラクターデザインの問題もあるのでしょうが…。監督のコメントを見る限りだと「原作愛」が足りなかった、という様子でも無さそうですし。そう考えると、名探偵ピカチュウは予告編時点での宣伝の仕方も秀逸だったなあと感じました。

 

ともあれ、名探偵ピカチュウは、ポケモンファンなら見て損のない、最高の映画だったと断言できる1本です。まだ観てない方は是非観て欲しいし、もう観た人はとりあえずもう一回映画館に行きましょう。

この映画の魅力を1割も伝えられたかどうか不安ですが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

昔からブログをやりたいと思っていた。

 

考えていることを文字に起こして整理するという行為は自分の性に合っていると思ったし、それを誰かに見てもらうというモチベーションも目立ちたがりの自分には噛み合うだろうという予感があった。

 

そう思いつつ4〜5年経っても何も文字に起こすことが無かったのは僕が卑劣で臆病な完璧主義を抱えていたからである。

 

ブログをやるからには多くの人に見てもらいたいし、多くの人に自分の文を評価されたい。その為には色んな分野に対する造形が必要だろう。

また、せっかく時間をかけて書く文章なんだから僅かでも収入に繋げたりもしたい。その為にはアフィリエイトなんかも勉強したりして、自作でホームページを作って読者を呼び込んだりもしたいものだ。

自分はまだブログを書くだけの資格が無い。

だからまずは勉強しよう。

 

だがこの4〜5年間僕が積み上げてきたものは皆無であった。

 

自分が皆の注目を集めるに足る文化的な知識などいくら年月を重ねても増えた気はしなかったし、ブログをやる以外に勉強する目的が存在しないプログラミングの勉強が進むはずもなかった。

自分が怠惰な人間だから何も積み上げられなかった、と言いたいわけではない。

詳しいところは今後記していこうとは思うが、正直なところ僕は努力できる環境には恵まれていない方だと思う。

人と比較するのはあまり良いことでは無いが、家庭的にも、身体的にもハンディキャップを抱えていると言えると思う。

時間の都合や金銭の都合で、自分の「やりたいこと」は達成することなく挫折したことが数え切れないほどある。

そんな中でこの厳しい世の中をなんとか生き延びている自分の今までの人生を後悔してはいない。

 

ただ今後悔しているのは、ありのままの自分をさらけ出すことができなかったことだ。

 

将来的になりたい自分の「虚像」を現実にすることばかりに執着して、今の自分を他者に表現することからずっと逃げていた。今ある自分の姿をそのまま他者に晒すことが怖かったのだ。

今でも怖い。

 

それ故に僕はいつも孤独だった。

もちろん外で遊ぶ友人や知り合いはいるけれど、勝手にどこか壁を感じたりしていたのだ。

 

でもそんな生活にもそろそろ飽きてきたので、諸々の拘りは捨てて今思ったことをつらつらと書き殴る、そういうブログを書こうかなあと思います。

 

 誰が見ていてもいい、誰も見なくても良い。

ここは僕だけが自由に描ける、僕だけの世界だ。

 

でもここがきっかけで出会えてよかったと思える誰かに出会えたなら、やっぱりそれはちょっと嬉しい。

以後よろしくお願い申し上げます。